2016.8.16

『アロマテラピーの歴史③』 薬剤師カルペパーと調香師ガットフォッセ

お盆休みが終わり、皆様そろそろ通常営業でしょうか?

お子様がいらっしゃる方は、またまだ夏休み中。

一日三回のお食事作りに追われながら、お勉強の進み具合をみつつ、

あと1~2回の近場へのお出かけを計画しようかどうか検討中…といったところでしょうか?

主婦にとっては、”夏休み”ではなく”夏仕事”。お疲れ様です。

 

さて、先日より『アロマテラピーの歴史』をお話ししております。

古代より宗教儀式、治療、美容に利用されてきた”アロマ=香り”ですが、

ヨーロッパでは中世以降民間によるハーブなどをつかった治療は、

魔女狩りの対象になる危険から、下火にならざるを得ませんでした。

詳しくはコチラ→アロマテラピーの歴史②




ハーブ療法の父 カルペパー

 

その弊害を免れたのが、カトリックの総本山ローマから

地理的にも宗教的にも距離のあったイギリスであり、

そしてハーブ療法の父といわれたニコラス・カルペパーです。



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1616年、広大な土地を有する名家に生まれた彼は、生まれる前に父を亡くし、

牧師であった母方の祖父の家で育ちます。

ケンブリッジ大学に入学するも、放蕩の限りを尽くし、父の遺産を使い果たし、

牧師を継ぐという条件のもと、母方の一族から援助を受けて学業を続けます。

ところがある女性に恋をし、駆け落ちの約束をした彼女は

カルペパーに会いにくる途中で馬車に雷が落ちて、亡くなってしまいます…。

 

自分を責め、ひどい神経衰弱に陥ったカルペパーは、母の必死の看病で回復。

しかし復学はせず、聖職に就くことも拒んだため、

親戚からの援助は打ち切られてしまい、一文無しに。

このショックから母は倒れ、回復せずに亡くなってしまいます…。

 

一念発起した彼は薬問屋に徒弟奉公に入り、親方亡き後薬屋を引き継ぎ、

薬草や医学の知識を深めていきます。自分の店を開業したのちは、

貧しい人からはお金を取らない一方、お金持ちには大金を請求するという姿勢が

民衆に受け入れられ、人気を博したといいます。

 

彼は自分のところまで薬を買いに来られない一般の人が

自分で病を治すために薬草を手に入れられるように、

英国薬局方』(薬の調合法や効能、注意点など薬のすべてが記されている)を

ラテン語から英語に直し、出版します。

当時の医学会から強い反発に会いながらも、ひるむことなく仕事を続けるも、

長患いの結核が原因で38歳でなくなりました。





近代アロマテラピーの生みの親 ガットフォッセ

 

19世紀に入ると植物から有効成分を抽出した薬が開発され、

ハーブや精油を使用した治療は時代のメインステージから姿を消していきましたが、

抽出された有効成分を組み合わせた薬の中には、効き目が強すぎたり、

期待していたのと異なる作用(副作用)がおきる場合もありました。



https://ja.wikipedia.org/wiki/ルネ=モーリス・ガットフォセ


そうしたことに気づき、再びハーブや精油を用いた療法に注目したのが、

フランスの調香師であり化学者、ルネ・モーリス・ガットフォッセ(1881-1950)でした。

香料の輸出入をする会社の社長令息としてリヨンで生まれた彼は、

父の会社を手伝う傍ら、精油をもちいた治療の研究を進め、

研究をまとめた著作のタイトルとして『アロマテラピー』という言葉を

世界ではじめて使用しました。

彼は「自然物質は純粋な形で使うべきである」「全体は部分の総和より大きい」と唱え、

精油による治療の研究に生涯を捧げました。

 

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イギリスのカルペパーとフランスのガットフォッセ、

植物の治癒力に注目し、それを世に広めたふたり。彼らがいなかったら、

今日私たちがこのように精油を利用したりはできなかったかもしれませんね。

 

明日は、『日本の香り歴史』、『今日におけるアロマテラピーの可能性』について、

お話ししたいと思います。どうぞお楽しみに♡

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Writer


エレガントライフアカデミー代表
原田 章子 Harada Shoko


福岡市に生まれる。福岡雙葉小学校、中学校、高等学校卒業。白百合女子大学文学部、国文学科卒業。

90年代よりテーブルアートを志し、フランス留学。料理学校『コルドン・ブルー』、『リッツ・エスコフィエ』で料理と製菓を学ぶ。公爵夫人マリー・ブランシュ・ドゥ・ブロイユに師事し、フランス食文化史を学ぶ。パリの生花店『コム・オ・ジャルダン』で修業。その後も定期的に渡仏し、同店で研修を受ける。

2015年、母、原田治子逝去に際し、エレガントライフアカデミーの代表に就任。当Blogの執筆も手掛ける。