9月の『食卓の美学セミナー』のテーマはカトラリーの知識でした。
カトラリーとは食事のとき、手に持って使う道具、ナイフ、フォーク、スプーンなどの総称。
和洋折衷のときは箸も含めていいとされます。
“カトラリー”という名詞は切る(=カットする)から来ており、昔ヨーロッパの宮廷では、
食事に携わる職業として調理人、給仕人の他に肉を切り分ける人=カトラーという職があり、
カトラーの使う道具なのでカトラリーという名前がついたと言われます。
本日はカトラリーの歴史をお話しさせていただきますね。
ナイフ、フォーク、スプーンの生い立ちはそれぞれ異なり、
共に食卓に出されるようになったのは18世紀半ばといわれます。
食べるための道具として最初に登場するのは、スプーンです。
もともと液汁をくみ出す調理器具として使われていたのが、
北欧で熱いスープを食べるために用いられだし、旅行者によって南に伝わり、
15世紀ごろより一般に広まりました。
スプーンは人生に結び付けられることが多く、
16世紀ごろイギリスでは子供が洗礼を受けるときに、
名付親がキリストの12使徒の像を刻んだスプーンを贈る習慣がありました。
また『銀のスプーンをくわえて生まれてきた』というと裕福な家の出を表し、
スプーンが財産としての役割も濃かったことが分かりますね。
次に食卓に現れたのはナイフです。武器として各自持ち歩いていたので、
食事のときもこれで肉を切り、手にとって食べていました。
中世の宴会では、『クレサンテのナイフ』と呼ばれる幅広い刃のついたナイフで、
客の前で肉を切り分け、刃に乗せてサービスしていました。
銀は毒に触れると曇ると考えられていたため、
信用のおけることをアピールするひとつのデモンストレーションだったようです。
15,6世紀の旅行者によってスプーンと共に袋に入れて宴会に持参するスタイルが広まり、
この慣習は長く続くこととなります。
最後に登場したのはフォークです。
ビザンチン帝国の姫君がベネチヤの総督の元に輿入れした婚礼の席で、
フォークを取り出して用いたという話がありますが、
ヨーロッパでは長い間市民権を得ることが出来ませんでした。
理由としては食物は神からの授かり物であり、
名前の通りフォーク(わらなどを扱う二股の農器具もフォークという)で
突き刺すのは冒涜と考えられていたから、
また贅沢品として禁止されたという経緯もあったようです。
1533年イタリアの名門メディチ家から、
フランスの第2王子、のちのアンリ二世のもとに嫁いだカトリーヌの花嫁道具の中に
料理人、料理レシピなどと共に銀のフォークもありましたが、すぐには受け入れられず、
息子のアンリ三世の宮廷でようやく使用されるようになります。
しかし太陽王として名高いルイ14世はまた手づかみの食事に戻ってしまいました。
上流階級の食卓にフォークが並ぶようになるのは、17世紀後半のこととされています。
日本人は米を主食として食べるために、箸を使い始めたとされるので、
弥生時代、少なくとも2000年前には、箸は一般化していたと思われます。
日本の箸にくらべると、カトラリーの歴史は浅いといえますね。
けれども存在感の大きさはどうでしょう。
素材が銀などの価値の高い金属だったことによるのでしょうか?
明日はカトラリーの素材についてお話ししたいと思います。
どうぞお楽しみに。(…え?楽しみじゃない?まあ、そうおっしゃらず!)
エレガントライフアカデミー代表
原田 章子 Harada Shoko
福岡市に生まれる。福岡雙葉小学校、中学校、高等学校卒業。白百合女子大学文学部、国文学科卒業。
90年代よりテーブルアートを志し、フランス留学。料理学校『コルドン・ブルー』、『リッツ・エスコフィエ』で料理と製菓を学ぶ。公爵夫人マリー・ブランシュ・ドゥ・ブロイユに師事し、フランス食文化史を学ぶ。パリの生花店『コム・オ・ジャルダン』で修業。その後も定期的に渡仏し、同店で研修を受ける。
2015年、母、原田治子逝去に際し、エレガントライフアカデミーの代表に就任。当Blogの執筆も手掛ける。