障害者施設で入居者が襲撃れるという、ショッキングな事件が起こりました。
容疑者は『障害者は生きていても無駄』などという発言をしていたそうです…。
無駄な人間なんて一人もいないのにね。
何が出来るか、どのように暮らしているかなんて関係ない。
この世に生まれてきたと言うだけで、みんな大切な、必要な、尊い命なのにね…。
そもそも、”障害者”という概念が問題かもしれません。
もちろん福祉制度には定義が必要なのですが、
わたくしたちの心の中にある”自分とは違う気の毒な人たち”という認識が
すでに優劣を判断しています。
完璧な人間など一人もいないし、目立つか目立たないかの差はあれども、
みんなどこかに障害があります。それを含めて魅力で個性なのです。
わたしたち一人ひとりはみんな不完全な凸凹な存在。
でもね、助け合って、補い合って生きていけば、まんまるな世の中になるんじゃないかな?
ロボットみたいな完璧な人間が、誰にも頼らずに暮らしていく世界より、
ずっとずっと美しいんじゃないかな?
すこし気が重くなってしまいましたが、元気を出して参りましょう。
そう、まだ7月なのでガラスのお話しでもいたしましょうか?
『江戸の敵を長崎で。』ということわざをご存知でしょうか?
意味は「思いがけないところで昔の恨み晴らすこと」。
実はこの語源にはガラス、そう、切子が関係しているのです。
江戸時代のこと、有名な境内には人が大勢集まるので、
毎日のように職人や芸人が技を披露していました。
ある時、大阪から来た籠職人が竹細工で巨大な涅槃像を作り、みんなの人気をさらいました。
江戸の職人の面目は丸つぶれ…。むかつくけれど、かといってそれを凌ぐものは作れません。
そこに、今度は長崎からギヤマン細工の灯篭と、ビイドロ細工のオランダ船が現れて、
大阪の竹細工以上の人気となりました。
大阪の職人たちの鼻を明かすことが出来たと、
江戸の職人たちは溜飲が下がる思いだった、ということです。
ここから、①意外な場所で昔の恨みを晴らすこと
②筋違いなことで、仕返しをすること の表現として使われるようになりました。
ライバルの人気ダウンで溜飲を下げるのは、まあ人間の心理としてあるかな?と思いますが、
筋違いなことで、仕返しされてはたまりませんね。
そもそも違う分野で競っても仕方ありません。それぞれの分野で、切磋琢磨しながら、
最高の感動を生む作品をつくる努力をしていけば良いのではないでしようか?
江戸時代、それほど切子が人々に感動を与えたというエピソードとして、
あたまにお止めおき頂ければ幸いです。
エレガントライフアカデミー代表
原田 章子 Harada Shoko
福岡市に生まれる。福岡雙葉小学校、中学校、高等学校卒業。白百合女子大学文学部、国文学科卒業。
90年代よりテーブルアートを志し、フランス留学。料理学校『コルドン・ブルー』、『リッツ・エスコフィエ』で料理と製菓を学ぶ。公爵夫人マリー・ブランシュ・ドゥ・ブロイユに師事し、フランス食文化史を学ぶ。パリの生花店『コム・オ・ジャルダン』で修業。その後も定期的に渡仏し、同店で研修を受ける。
2015年、母、原田治子逝去に際し、エレガントライフアカデミーの代表に就任。当Blogの執筆も手掛ける。