2016.9.24

アンリ2世とディアーヌ・ド・ポワチエ 『食卓の歴史』

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まだまだ暑いですね。日中は窓を開けて暮らしています。

でも夜になるとさすがに「閉めようかな。」という気になるのは、

わずかながら秋の気配というところでしょうか?鈴虫の声に涼を感じます。

 

さて、昨日に引き続きカトリーヌ・ド・メディシスのお話しをさせていただきますね。

メディチ家の息女であり、法王を伯父に持つカトリーヌは、

フランスの第2王子アンリの元に嫁ぎます。14歳同士の結婚でした。

ところがアンリにはすでに最愛の人がいたのです。





ディアーヌ・ド・ポワチエ

 

彼女の名はディアーヌ・ド・ポワチエ。サン・ヴァリエの領主の娘として生まれ、

15歳で36歳年上のアネの領主ルイ・ド・ブレゼと結婚。

夫はフランソワ一世の宮廷に使え、

彼女自身もフランソワ一世の母(王母)、妻(王妃)の侍女として仕えました。

夫の死後は、彼女は常に黒い喪服で過ごしました。



https://ja.wikipedia.org/wiki/フォンテーヌブロー派



透き通るような白い肌と、幾分ふくよかな姿態、卵型の顔に整った目鼻立ち…

ディアーヌは美女として知られ、芸術作品の中にも数多くその姿は見られ、

50代になってもその容貌は衰えることはなかったと言います。

 



ディアーヌとアンリの出会い

 

イタリア戦争中、フランス国王フランソワ一世はカール5世の軍隊の捕虜となり、

(昔は王自ら戦場に赴きました。勇敢ですね。)

王太子フランソワと弟アンリは、父であるフランス国王と引き換えに、

スペインで人質生活を送ることを余儀なくされました。フランソワ9才、アンリ7歳のことです。

フランスをたつ日、次期王であるフランソワは、たくさんの家臣たちに取り囲まれ、

励ましやなぐさめ、いたわりの言葉をかけられていましたが、

アンリは元来の内気な性格のせいもあってか、誰一人声をかけるものさえありませんでした。

そこに、ある一人の女性が駆け寄って、アンリをその胸に抱きしめたのです。

それがディアーヌでした。ディアーヌにとっては、

自らも子供を持つ身…王子とは言え、いたいけな少年の所在無げな様子に

胸をつかれての母性による行動でしかありませんでした。

まさかそのたった一回の無言の抱擁が、アンリにとっては辛い4年の人質生活の

心の支えとなっていたとは思いもよらぬことでした。



https://ja.wikipedia.org/wiki/ユグノー戦争


4年間の人質生活を終えフランスに帰国した時、

アンリが真っ先にしたのはディアーヌを探すこと。

幸い宮廷に仕える女性だったためディアーヌはすぐに見つかり、

アンリは自分の家庭教師として彼女を指名したのでした。

こうして二人の関係は始まったのです。





カトリーヌとアンリ、ディアーヌの三角関係

 

一方はじめ、夫の愛人が教育係の女性と知って、カトリーヌは安堵します。

当時の上流階級の子息の教育係は、マナーや処世術などを教えるだけでなく、

性教育をも担うことはごく普通のこと…年の差もあり、本気の愛とは思えなかったのです。

しかしながらアンリのディアーヌへの愛は日増しに深まり、

とうとう人目をはばからなくなってきました。

彼女に一流の称号と城を与え、公式行事の一つである馬上試合では、ディアーヌに敬礼し

(命を捧げる意味がある)、公式書類に二人の名前を署名することさえありました。

カトリーヌは嫉妬に苦しみ、国民は王の本当の伴侶はディアーヌだと噂するようになり、

そのうちに王宮に出入りする者の中にも

王妃であるカトリーヌを軽視する輩も出てきました。



http://www.ccn.aitai.ne.jp/~otatuto/kobanasi16.html



カトリーヌ…可哀想ですね。(;_:)なんとか応援してあげたいです。

この続きはまたの機会に…。

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Writer


エレガントライフアカデミー代表
原田 章子 Harada Shoko


福岡市に生まれる。福岡雙葉小学校、中学校、高等学校卒業。白百合女子大学文学部、国文学科卒業。

90年代よりテーブルアートを志し、フランス留学。料理学校『コルドン・ブルー』、『リッツ・エスコフィエ』で料理と製菓を学ぶ。公爵夫人マリー・ブランシュ・ドゥ・ブロイユに師事し、フランス食文化史を学ぶ。パリの生花店『コム・オ・ジャルダン』で修業。その後も定期的に渡仏し、同店で研修を受ける。

2015年、母、原田治子逝去に際し、エレガントライフアカデミーの代表に就任。当Blogの執筆も手掛ける。