2016.7.13

ガラスの歴史② 『日本のガラス作りと切子』

午前中すごい雨でしたね。お家ごと食器洗い機に入ったようでした…。

お家の中にいてこれだけ恐ろしかったので、

お外で働いている方、通勤通学中だった方はどれほど怖い思いをなさったことでしょう?

世の中突然何があるか分かりません。

皆様、地震事故、悪天候の際は、どうぞご自身の身を守ることを最優先になさってくださいね。

 

さて7月の『食卓の美学セミナー』『ガラスの知識』がテーマです。

本日は「日本のガラス作りの歴史」についてお話しいたします。

 

日本に初めてガラスが伝わったのは弥生時代と言われています。

当時のガラスは器ではなく勾玉などの装飾品でしたが、ガラス炉が発見されていることから

少なくとも2000年前には国内でもガラスの成型加工がおこなわれたことが分かっています。





↑長崎切子。薄さ軽さで”ガラスの儚さ”を味わえます。

 

飛鳥奈良時代には日本でガラスの原料が作られるようになり、

仏教の隆盛に伴って、仏像や仏具、七宝にガラスが使われていました。

 

現代のような器としてのガラスが伝わったのは、

1549年ポルトガル宣教師フランシスコ・ザビエルの来日の際、

ガラスの鏡や遠眼鏡など西欧ガラスが日本にもたらされたと言われます。

それを機に様々なガラス器が渡来し、“ビードロ” “ギヤマン”と呼ばれ

大いに珍重され、身分の高い人への贈り物に用いられました。





↑江戸切子。江戸切子の得意とするカット技法、籠目と網目が見られます。

 

日本製のガラスの代表、”切子”は、

鎖国時代、西洋との唯一の窓口であった長崎で

オランダ、ポルトガルからもたらされたガラス器を参考にまず”長崎切子”が作られます。

 

それが献上品として江戸にもたらされ、”江戸切子”の製造のきっかけとなり、

更に江戸でそれを見た薩摩藩主、島津斉彬によって鹿児島で”薩摩切子”が作られるようになります。

しかし斉彬の急死によりたった7年間で薩摩切子の製造は中止になり、

さらに薩英戦争による砲撃によりガラス工場の他、

製造方法を記した資料なども焼失してしまいます…。

その後、島津家により薩摩切子が復元されるのは約100年後、1984年のことです。





↑薩摩切子。被せるガラスの厚さとカットの高い技術による”ぼかし”が特徴。

 

切子の特徴は、被せガラスとカットです。

まず成型したガラス器素地の上に異なる色のガラスを被せかけ、

カットで下の地色が見えるように研削を施すと、

地色と被ガラスの色を対比させた文様が浮かび上がります。

 

長崎切子、江戸切子、薩摩切子で被せるガラスの厚さや、

カットの深さ、技法などが異なりますが、製法としては同じ手法で作られます。



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Writer


エレガントライフアカデミー代表
原田 章子 Harada Shoko


福岡市に生まれる。福岡雙葉小学校、中学校、高等学校卒業。白百合女子大学文学部、国文学科卒業。

90年代よりテーブルアートを志し、フランス留学。料理学校『コルドン・ブルー』、『リッツ・エスコフィエ』で料理と製菓を学ぶ。公爵夫人マリー・ブランシュ・ドゥ・ブロイユに師事し、フランス食文化史を学ぶ。パリの生花店『コム・オ・ジャルダン』で修業。その後も定期的に渡仏し、同店で研修を受ける。

2015年、母、原田治子逝去に際し、エレガントライフアカデミーの代表に就任。当Blogの執筆も手掛ける。