2016.7.7

ガラスの歴史 ② 『ヴェネチアングラス と ヨーロッパに広がったガラス作り』

今日は昨日より風がありましたね。でも息苦しい暑さは変わらず…。はぁはぁ…

明日から雨の予報、少し涼しくなれば良いのですが…。

 

テーブルコーデネート基礎コース『食卓の美学セミナー』の7月は

『ガラスの知識』がテーマ。

昨日の続きのガラスの歴史をお話ししたいと存じます。





ローマ帝国時代に盛んに作られたローマングラスは、

帝国の分裂によってヨーロッパから消えてしまいます。

それが復活するのは実に800年後、10世紀ごろヴェネチアでのことです。

地中海有数の海運国となっていたヴェネチアは、当初

東ローマ帝国の遺産を受け継いだトルコなどからイスラムガラスを買い入れ、

ヨーロッパ各地で販売していましたが、しだいに技術や職人を導入して、

自国でガラスを製造するようになります。

 

13世紀末、ガラスの製造技術が国外に流出することを怖れた共和国政府は、

火災防止を名目に、すべてのガラス工場をヴェネチアから1.2km沖合のムラノ島に移し、

職人とその家族を強制移住させ、島を出ることを禁じます。





↑エレアカ所有のヴェネチアンガラス。

古代ローマの技術を復活させた、モザイク技法、レース技法などがみられます。

 

政府保護下に置かれたヴェネチアのガラス産業は、古代ローマのモザイク技法、

レース技法などを次々に復活させ、ヨーロッパの高級ガラス市場を独占。

15世紀のヨーロッパの王侯貴族の間では、壁にはヴェネチアンガラスの鏡、

天井にはヴェネチアンガラスのシャンデリア、

食卓にはヴェネチアンガラスのグラス類を用いるのが、上流階級の憧れとなりました。





↑エレアカの壁にもヴェネチアンガラスの鏡があります。

 

ムラノ島から出ることを禁じられた職人たちは、強制的に働かされ、

劣悪な労働環境の中、健康を害するものも多く出ました。

死が近いと思った職人には、美味しい食事と女性、そしてゴールドが与えられ、

最後の力を振り絞り、ガラスにそのゴールドをいれると、

まるで職人の最後の息吹か血のような、

ヴェネチアンガラス特有の赤いグラスが出来たと言います。

 

海に飛び込んで、逃亡を図ったものは死刑に処せられましたが、

中には外国の船に助けられ逃亡に成功するものも出てきました。

 

ドイツの船に助けられた職人は、ドイツでバルトガラスの製造のきっかけになり、

チェコの船に助けられたものは、ボヘミアングラス

オランダの船に助けられたものはレーマン杯

フランスの船に助けられたものはファソン・ド・ヴェニーズを作ることになります。

こうしてガラス製造はヨーロッパ各地に広がっていきました。

 

命がけで外国に逃れても、ガラス作りからは一生逃れることが出来なかったなんて、

美しい反面、それゆえの”魔力にも似た恐ろしさ”がガラスにはあるのかもしれません…。



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Writer


エレガントライフアカデミー代表
原田 章子 Harada Shoko


福岡市に生まれる。福岡雙葉小学校、中学校、高等学校卒業。白百合女子大学文学部、国文学科卒業。

90年代よりテーブルアートを志し、フランス留学。料理学校『コルドン・ブルー』、『リッツ・エスコフィエ』で料理と製菓を学ぶ。公爵夫人マリー・ブランシュ・ドゥ・ブロイユに師事し、フランス食文化史を学ぶ。パリの生花店『コム・オ・ジャルダン』で修業。その後も定期的に渡仏し、同店で研修を受ける。

2015年、母、原田治子逝去に際し、エレガントライフアカデミーの代表に就任。当Blogの執筆も手掛ける。