7月も終わりに近づきましたね。
テーブルコーディネート教室の7月はガラスがテーマ。
本日はガラスの逸話の追加として、フェニキア人についてお話しします。
フェニキア人は紀元前15世紀から紀元前8世紀ごろ、
地中海沿岸を中心に活躍した海洋民族。フェニキアという名の国があったわけではなく、
彼らが取引に用いた特産品の名に基づいていると言われますが、定かではありません。
↑フェニキア人が交易に使っていたと言われる船の復刻。
http://ameblo.jp/montagna225/entry-11910582793.html
大変優秀な造船技術と航海術を生かして、海洋交易をおこない、
北アフリカからイベリア半島まで進出したと言われます。
フェニキア本土の特産品は貝紫とレバノン杉。
貝紫は貝の分泌物から作る大変高価な染料であり、
ローマ帝国やエジプト王国でも王のみが使用する禁色として、珍重されました。
またレバノン杉は、たいへん良質な木材であり建材の他、船材として高値で取引されました。
けれども彼らの活動はある寄港地で仕入れたものを次の寄港地で売るという交易でこそ、
その実力が発揮されました。
イタリアで仕入れた香辛料を、イギリスで鉄に替え、
それを持ってロシアに行って、琥珀を入手、
さらにそれをペルシャに届けて織物を手に入れる…というような。
このような海洋交易をする中で、ガラスを偶然発見したお話しは以前いたしました通りですが、
さらに、その交易活動にともなってアルファベットなど、
古代オリエントで生まれた優れた文明を地中海全域に伝えたとなると、
かれらが歴史上いかに重要な仕事をしたかということがわかりますね。
↑レバノンの切手にはフェニキア人とアルファベットの元となった文字が描かれている。
http://www.venus.zaq.jp/voyage/map/gv-sPhoenician.html
しかし、紀元前9世紀~紀元前8世紀、アッシリアの攻撃を受け服属。
アッシリアの滅亡後は新バビロニア、ペルシャ帝国に服属しながらも、
海洋交易は繁栄を続けましたが、アレクサンドロス大王によって首都ティルスが征服されると、
ヘレニズム世界の一部となり、その独立性はしだいに失われていきました。
このようなフェニキア人に母、原田治子は大変共感を感じ、
“前世はフェニキア人だった”とまで申し、毎年ガラスのお話しの際には、
彼らの活躍について熱を込めて話すほか、
フェニキア人をテーマにしたテーブルコーディネートもしています。
↑原田治子のフェニキア人をテーマにしたテーブルコーディネート。
歴史の一部をイメージ化してテーブルコーディネートに表現する…
本当にユニークな才能をもった人でした。
皆様も食や食器を通して歴史にご興味を持っていただけましたら、幸いです。
エレガントライフアカデミー代表
原田 章子 Harada Shoko
福岡市に生まれる。福岡雙葉小学校、中学校、高等学校卒業。白百合女子大学文学部、国文学科卒業。
90年代よりテーブルアートを志し、フランス留学。料理学校『コルドン・ブルー』、『リッツ・エスコフィエ』で料理と製菓を学ぶ。公爵夫人マリー・ブランシュ・ドゥ・ブロイユに師事し、フランス食文化史を学ぶ。パリの生花店『コム・オ・ジャルダン』で修業。その後も定期的に渡仏し、同店で研修を受ける。
2015年、母、原田治子逝去に際し、エレガントライフアカデミーの代表に就任。当Blogの執筆も手掛ける。