2016.9.23

フランスに洗練されたマナーと料理をもたらした 『カトリーヌ・ド・メディシス』

なにやら祝日が多いな~と思いましたら、近年出現したシルバーウィークというものらしく、

今年は祝日の間の2日間と金曜日(本日)をお休みにすれば、なんと9連休なんだそうです。

主婦には休みはないけどね。皆様いかがお過ごしですか?

 

わたくしはお彼岸を過ぎたということで、例年通り

ベッドルームのカラーコーディネートを淡いグリーンからピンク主体に替えて、

クローゼットの衣替えをしました。

トムにも衣替えをということで、猫メロ毛布をだしてあげました。

でも今日はまた暑く…。また夏服とタオルケット出さなきゃ。見通しが甘かったです。





「猫メロなんて、まだいらないも~ん。」

 

さて本日はフォークをフランスにもたらした

カトリーヌ・ド・メディシスについてお話ししたいと思います。

 

カトリーヌ・メディシスは1519年、

イタリア・ルネッサンスの華、 フィレンツェの名門メディチ家の息女として生まれました。

生まれて15日目に母を、20日後に父を亡くしたカトリーヌは、

伯父が後継人となり、修道院で育てられました。

当時の修道院は貴族の寡婦が余生を過ごすことが多く、

カトリーヌは彼女たちの手ほどきによって当時として一級の

教養、マナー、処世術を身に着けたと言われます。





年頃になると、メディチ家の唯一と言っていい血統者であったカトリーヌには、

大勢の求婚者が現れます。

ミラノ公爵、マントーヴァ公爵、スコットランド王、ウルビノ公爵…

名門メディチ家、そして彼女の伯父法王クレメンテ7世と

縁戚関係になることを望んだのです。

 

カトリーヌは従兄弟イッポリトに淡い恋心を抱いていましたが、

当時の上流階級の女性が恋愛結婚できることは極めてまれであり、

カトリーヌは母がフランス国王の従姉妹であったこともあって、

伯父の決めた、フランス国王フランソワ一世の第二王子、

アンリの元に輿入れすることになりました。





メディチ家の用意した持参金と花嫁道具の素晴らしさは、現代でも語り草になっています。

パールをちりばめた金糸銀糸の衣装の数々や宝石、

貴重であったスパイスや砂糖、薬、洗練された調度品の数々…

その中にフォークも入っていたと言われます。

また料理人や薬剤師、調香師も連れてきたと言われ、この婚姻が

フランスが現代のように”香水の国”と呼ばれ、フランス料理が

世界三大料理の一つとして君臨するきっかけになったと言っても良いでしょう。





一国の王子とヨーロッパ随一の名門の息女とは言え、14歳同士。

結婚式当日、カトリーヌは初めて会うアンリにドキドキしながら何度も目をやりますが、

アンリの方はチラリとも目を向けません。

そのうち夫の目が常にある一人の女性に向けられていることに気づきます。

黒いドレスに身を包んだ、ゴージャスな美女…。

しばらくは控えていたカトリーヌでしたが、我慢しきれずに側にいた女性に尋ねました。

「アンリ様がご覧なっているあの女性はどなたですか?」

「・・・あの方はあなたのご主人様の”良い方”ですよ。」

なんとアンリには20歳も年上の愛人がいたのです!





14歳が34歳の愛人って、どういうこと…?驚かれる方も多いと存じます。

でもこれには誰もが納得できる(かな?)立派な理由があるのです。

 

…ですが、この続きはまた明日。

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Writer


エレガントライフアカデミー代表
原田 章子 Harada Shoko


福岡市に生まれる。福岡雙葉小学校、中学校、高等学校卒業。白百合女子大学文学部、国文学科卒業。

90年代よりテーブルアートを志し、フランス留学。料理学校『コルドン・ブルー』、『リッツ・エスコフィエ』で料理と製菓を学ぶ。公爵夫人マリー・ブランシュ・ドゥ・ブロイユに師事し、フランス食文化史を学ぶ。パリの生花店『コム・オ・ジャルダン』で修業。その後も定期的に渡仏し、同店で研修を受ける。

2015年、母、原田治子逝去に際し、エレガントライフアカデミーの代表に就任。当Blogの執筆も手掛ける。