新婚旅行は平戸。父が写した新妻の写真。
20歳代の半分を闘病に費やした母に、原田吉雄を紹介したのは、共通の友人(男性)でした。
「治子さんのお婿さんは、僕が見つけてきてあげる。」
という大学時代の約束を律儀に守って、紹介されたのがピアニスト原田吉雄でした。
父は桐朋学園大学音楽学部一期生。斎藤秀雄氏に師事し、小澤征爾氏と同窓生。
著名なピアノコンクールで優勝し、当時、新進気鋭の若手ピアニストとして、
テレビラジオに引っ張りだこでした。
大学で音楽を専攻し、小学生にピアノを指導していた母も、名前は聞きおよんでいました。
「あの原田吉雄さんって、いったいどんな人なのかしら…?」
と思いながら、紹介者の友人といきなり父の一人住まいの家を訪ねることに・・・。
母の第一印象は「なんて、体の弱そうな人なんでしょう。」
当時すでに両親を亡くし、故郷を離れ独り、演奏活動とピアノ教師をする父は、
もともと小柄な上に痩せ気味で、目に真っ青なクマを作っていたそう。
母と結婚当初の父、原田吉雄。
一方父の感想は、「これは、上等な人を紹介してくれたものだ。」。
それから、しだいに電話で話すようになり、週末は母が運転してドライブか、
母の実家で家族ともどもお食事会。
これまで、娘のお見合い相手となると、自身で相手の身辺調査をするなど、
大変用心深かった祖父も、父の時は不思議とノーチェックでパス。
実は祖父は、母が祖母のお腹にいるときからオペラを聴かせていたほどのクラシック音楽好き。
もしかしたら、誰よりもこの縁を喜んでいたのが祖父だったのかもしれません。
こうして20代後半を病気のため悶々と過ごしたことが嘘のように、
縁談はとんとん拍子に運び、
秋に出会って、2月には結婚することになったのです。
花嫁道具に愛車(赤いボルボ)とピアノを持って父の家にやってきた母、原田治子。
エレガントライフアカデミー代表
原田 章子 Harada Shoko
福岡市に生まれる。福岡雙葉小学校、中学校、高等学校卒業。白百合女子大学文学部、国文学科卒業。
90年代よりテーブルアートを志し、フランス留学。料理学校『コルドン・ブルー』、『リッツ・エスコフィエ』で料理と製菓を学ぶ。公爵夫人マリー・ブランシュ・ドゥ・ブロイユに師事し、フランス食文化史を学ぶ。パリの生花店『コム・オ・ジャルダン』で修業。その後も定期的に渡仏し、同店で研修を受ける。
2015年、母、原田治子逝去に際し、エレガントライフアカデミーの代表に就任。当Blogの執筆も手掛ける。