2016.1.5

原田治子 Story ⑧ 4年間の闘病生活

エレガントライフアカデミー創始者、原田治子の一生の物語の№⑧です。

バックナンバー①~⑦は、カテゴリー『原田治子 Story』

お読みいただけます。





独身時代の写真が見つからないので、子育て中の写真を掲載します。母と長女、聖子。

 

福岡学芸大学(現・福岡教育大学)を中退し、花嫁修行をしながら、

小学生に週に何回かピアノを教えていた20代半ば、母に試練が訪れます。

盲腸の手術後の傷が癒着し、足掛け4年間も入退院を繰り返すこととなったのです。

傷を何度も縫い直し、今度こそ治ったと思ったら、数か月後にはまた悪化。

同級生は次々に結婚していきます。

仕事をしたくても、体を大事にしなければ、やっとふさがった傷がいつ開くかわかりません・・・。

 

祖母は、そんな母のために毎日裸足でお百度をふむことを日課にし、

東京の病院に入院していた時には、“奥村の叔父様、叔母様”が3日と空けずにお見舞いに訪れ

元気づけてくださったということです。





母と次女、章子。

 

生来明るい気性の母でしたが、さすがにそのころは病院の窓から空を見上げても、

明るい未来を夢見ることすらできなかったと言います。

そのころの母を支えた言葉があります。それは、

 

『神の技は時にかなって、麗し。』

 

いう聖書に言葉。今は苦しいけれど、これはこれで今の自分にとって必要なこと。

でもいつか、自分を生かせる時が来るはずという想いが、母を支えたのでした。

 

また母の慰めになったのが読書と短歌、そしてフランス刺繍です。

中学生時代から始めた刺繍は、その頃にはプロの域に達し、クッション、テーブルクロス、

ピアノカバー・・・次々に作品を作っては、自室に飾りました。

今思えば、生まれ持った美的センスやバランス感覚に磨きをかけ、

母がインテリアへの興味や、創造する喜びを育んだ時代だったのかもしれません。





母と二人の子供たち。

 

また、退院中には、母校福岡雙葉の同窓会副会長を務め、企画立案しては

後輩たちをまとめて準備を進め、当日素晴らしい会を催すという、

演出、プロデュースの楽しさを知ったのもそのころでした。

 

そして、傷がようやく癒えてきた30歳を目前に、

当時福岡で、新進気鋭のピアニストとして名をはせていた、原田吉雄との出会いがありました。

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Writer


エレガントライフアカデミー代表
原田 章子 Harada Shoko


福岡市に生まれる。福岡雙葉小学校、中学校、高等学校卒業。白百合女子大学文学部、国文学科卒業。

90年代よりテーブルアートを志し、フランス留学。料理学校『コルドン・ブルー』、『リッツ・エスコフィエ』で料理と製菓を学ぶ。公爵夫人マリー・ブランシュ・ドゥ・ブロイユに師事し、フランス食文化史を学ぶ。パリの生花店『コム・オ・ジャルダン』で修業。その後も定期的に渡仏し、同店で研修を受ける。

2015年、母、原田治子逝去に際し、エレガントライフアカデミーの代表に就任。当Blogの執筆も手掛ける。