2016.2.4

原田治子 Story ⑬ 『初めての本格的おもてなし体験』

エレガントライフアカデミー創始者、食卓演出家・原田治子の一生の物語です。

バックナンバー①~⑫は『原田治子Story』でお読みいただけます。

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本日は母が、『家庭でのおもてなし』に目覚めたきっかけをお話ししようと思います。

 

まだ結婚間もないころ、父がピアニストとして毎週出演していたNHKの

番組のプロデューサーが、すぐ近くの集合住宅にお一人でお住まいと耳にした母は、コンビニなどない時代のこと、

「栄養が偏ったりしていないかしら?」

「お一人のお夕飯はお淋しくないかしら?」

という気持ちから、父に「今度お食事にお招きしましょう。」と提案しました。





子供たちと原田治子。本日のお話しはこれより数年前のこと…。

 

すると数日後、ご本人から、母にお電話がかかってきました。

「お招き有難うございました。喜んでお伺いいたします。

ところで、奥さまはフランス料理がご堪能と伺いました。ひとつメニューの所望をしてもよろしいでしょうか?」

母はあまりにびっくりして、思わず「はい。』と答えてしまいました。

「スープはコンソメ、お魚料理は貝、お肉料理は鶏でお願いします。」

 

…大変なことになりました。結婚したばかりで得意料理も少なく、

豚汁と焼き魚とお酢の物…というような素朴な家庭料理でもてなすつもりでしたのに。

けれどもいまさらお断りするわけにもいきません。

手元と実家にあった料理本という料理本をすべて引っ張り出し、手におえそうなメューを書きだしました。

『ビーフコンソメ』、『牡蠣のコキーユ・グラタン』、『鶏のフランス風煮込み』…。

約束の日までの2週間で、人様にお出しできるまでにしなければなりません。

 

まず『ビーフ・コンソメ』。本を見て何度も試作するものの、中々思うようにできず、

お料理の得意な知人の奥さまのところに急きょ弟子入り。

灰汁を卵白でとると澄んだ綺麗なコンソメができる。

色が薄ければ、砂糖を焦がしたキャラメルを加えて、綺麗な色をつける。

最後の仕上げにブランデーをひと匙入れる。

 

『牡蠣のコキーユ・グラタン』は、ホワイトソースが得意でしたので決めましたが、

当時、家にも実家にもオーブンがありません。

新鮮な牡蠣を市場で購入し、バターで丁寧にソテー。ホワイトソースを上からかけて、

フライパンできつね色に炒ったパン粉と粉チーズをふりかけて、

グラタンの見た目と食感に近づけました。

 

もっとも困ったのは鶏料理。

母はもともと鶏が好きではないため、好きなメニューも得意料理もありません。

「煮込み料理なら、事前に作っておけるので何とかなるかな?」ということで、

レシピ通りにつくって、数回父にだしてみて味を調えました。

 

さて当日の出来は?あまりに緊張してどのようにおもてなしをしたか、母自身は覚えていないとのこと。

けれども、それから10年以上にわたって、父への年賀状に

「奥さまのフランス料理の味が忘れられません。」との言葉が添えられたのでした。

 

後に分かったことですが、その番組プロデューサーは東大仏文科卒で、フランス留学もなさったという経歴の方だったそう。

フランスでは、新しく知り合いになった方を家庭に良く招きますし、

希望のメニューを尋ねたり、メニューの所望をすることも珍しくないのです。

 

苦労しながらも、何とかやり遂げた初めての本格的なおもてなし。

「すごく大変だったけれど、やり抜いた!」という充実感と、

「次は、お料理ももてなしももっと上手にしたい!」という展望。

もてなしのとりこになる一番初めの経験となったのです。





『奥村の叔父様』、『叔母様』が、原田家を訪問くださったときの写真。

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Writer


エレガントライフアカデミー代表
原田 章子 Harada Shoko


福岡市に生まれる。福岡雙葉小学校、中学校、高等学校卒業。白百合女子大学文学部、国文学科卒業。

90年代よりテーブルアートを志し、フランス留学。料理学校『コルドン・ブルー』、『リッツ・エスコフィエ』で料理と製菓を学ぶ。公爵夫人マリー・ブランシュ・ドゥ・ブロイユに師事し、フランス食文化史を学ぶ。パリの生花店『コム・オ・ジャルダン』で修業。その後も定期的に渡仏し、同店で研修を受ける。

2015年、母、原田治子逝去に際し、エレガントライフアカデミーの代表に就任。当Blogの執筆も手掛ける。