先日、スパイスが世界地図を塗り替えたお話しをいたしました。本日はその続き、
フランス料理がどのように今日に至ったかをお話ししたいと思います。
太陽王といわれたルイ15世の時代より、ヴェルサイユでは権力の誇示のため
毎夜のように大宴会が催されましたが、そこで消費しきらずにのこった料理は、
役人たちによって横流しされ、パリで売られるようになっていました。
↑太陽王ルイ15世( http://desinroc.free.fr/chrono2/LouisXIV.html)
フランス大革命後、使えていた貴族がギロチンにかけられたり、外国に逃亡したりして
失業した料理人たちはのなかには、パリでレストランをひらくものが現れ、大人気になります。
市民たちは貴族たちがどれほど美味しいものを食べているか、
惣菜店で買って食べて、すでによく知っていたのです。
かれら優れた腕をもつ料理人たちの存在は、
フランス料理を味の芸術として世界に示すこととなります。
盛り付け美の究極を示し、フランス古典料理を完成させたアントナン・カレーム。
その後継者ユルバン・デュボアはフランスにロシア式サービスをもたらしました。
またオーギュスト・エスコフィエはフランス料理の近代化を果たすと共に、
レストランで食事をするという気風を広めました。
↑アントナン・カレーム(copyright Wikipedia )
↑当時の最先端、盛り付け例のデッサン( copyright AU BAIN MARIE-RARIS)
さて、ロシア式サービスとは、どのようなものだったのでしょうか?
昔のフランスの一般的な宴会風景は、
オードブルからデザートまで、大皿で一度にテーブルに並べられ、
給仕人によって、取り分けてもらいながら食べるというスタイルでした。
当時のフランス風宴会風景↑(copyright ANTHONY ROWLEY [A table!])
一方、北国であるロシアでは、それではすぐに料理が冷え切ってしまうので、
一皿ごとに温かい料理を運ぶというサービスがなされていました。
そこでユルバン・デュボアはロシアの皇帝をもてなす際、フランス料理を
ロシア式サービスで供すということを思いつき、歓心を得ることに成功。
それが評判になって、しだいにフランス中に広まっていったといいます。
つまり今日、私たちがフレンチレストランでうけるサービスは、ロシア発祥というわけです。
↑今日のフランス料理のサービス
またブリヤ・サヴァラン、グリモー・ド・ラ・レニエールなど美食評論家たちは、
筆によって、ヨーロッパ中の、実際に食べ来ることが困難な遠くの人にも、
いかに素晴らしい味、盛り付け、サービスなのかを伝え
フランス料理のいっそうの発展に一役買うこととなりました。
ブリア・サバラン↑(Jean Ferniot[L’EUROPE A TABLE ])
このようにして宮廷から飛び出したフランス料理は、
今日のように世界三大料理の一つとして君臨するに至ったのです。
フレンチレストランに行く機会があったら、
このような経緯を思い浮かべながらお料理をいただくと、
一味違って感じられるかもしれませんね。
さて、テーブルコーディネート基礎コース『食卓の美学セミナー』では、
11月の「洋食のマナー」レッスンの後、
フレンチレストランでのお食事会(お料理代別)を開催いたします。
エレガントライフアカデミー代表
原田 章子 Harada Shoko
福岡市に生まれる。福岡雙葉小学校、中学校、高等学校卒業。白百合女子大学文学部、国文学科卒業。
90年代よりテーブルアートを志し、フランス留学。料理学校『コルドン・ブルー』、『リッツ・エスコフィエ』で料理と製菓を学ぶ。公爵夫人マリー・ブランシュ・ドゥ・ブロイユに師事し、フランス食文化史を学ぶ。パリの生花店『コム・オ・ジャルダン』で修業。その後も定期的に渡仏し、同店で研修を受ける。
2015年、母、原田治子逝去に際し、エレガントライフアカデミーの代表に就任。当Blogの執筆も手掛ける。