2016.10.27

10月のおもてなし教室 『ニユー・ジャパネスクの考え方』

Category :

陽射しが戻った一日、明日からはまた雨らしいので、今日は頑張ってお庭の芝刈りをしました。

手を痛めて2ヶ月まったく芝刈りをしていなかったので、もう草茫々、空き地のような状態。

さっぱりしたところを明日の朝見るのが楽しみです。

 

今年はお休みしておりますが、おもてなし教室の10月は『ニュー・ジャパネスクの考え方』と称して、

ダイニングルームでのお茶会を催します。

未熟者の私がおこがましいのですが、母のレジメに従って

本日は”茶の湯”の精神についてお話しさせていただきます。





もてなしの芸術 『茶の湯』

 

『日常茶飯事』という言葉があるように、お茶を飲みご飯を食べることは日常性の代表、

生命体としてのヒトにとって不可欠な行為です。

この日常不可欠な行為を神聖化、芸術化したものが茶道です。

たべもの、飲み物に感謝し、聖なるものとし、茶道具、掛物、また手前そのものが芸術化されるといいます。

 

『和敬清寂』

 

茶の湯の精神としてよく言われるのが『和敬清寂』。主客相互に求められる精神性です。

『和』は人との交友、和みあいのこと。

『敬』は相手を敬う気持ちのこと。

『清』は心の清らかさ、純粋さのと。

『寂』はこの世のあるがままを受け入れること。





『侘び』『寂び』とは

 

『侘び』とは物質的、精神的に不足した、欠けた状態から引き起こされる気持ちのこと。

たとえば、「もっとお金があれば…」とか、「あの人が私を好いてくれたら…」とか、

「自分にはもっと大きな仕事ができるのに…」などという気持ちです。

 

『寂び』は時間の経過によって、何かが失われていく状態から生まれる気持ちのこと。

自然の営みでいえば、秋の紅葉の美しさから、冬枯れの寂しさへの移り変わり、

人生でいえば若さから老いへの変化に対する気持ちです。

 

こういった状態を好ましくないものとして否定したり、抗ったりするのではなく、

人生の真実として受け止め、むしろ積極的に見つめて、

それを美学にしようとする意識の芽生えが『侘び・寂び』の精神と言われます。




『わび茶』とは

 

禅の精神にかなった茶の湯の境地を『わび茶』と言います。

点前に、語る言葉にあらわれる、心のきれいさ、もてなしのこころの深さが尊ばれます。

 

“茶の湯”の精神、いかがでしたでしょうか?

お茶や和の世界に限らず、もてなし全般…いえ、人生すべてにおける指針のように

お感じになったのではないでしょうか?

忙しさに紛れて、ともすれば忘れがちなこうした精神性を、お茶を飲む、もてなすという行為を通して

想い起すのが”茶の湯”の真の目的かもしれません。





本格的な茶の湯でなくとも、ご自宅でお茶をお点てになるときは、

どうぞこういった精神を心にとめてみてください。きっと味わいが違ってきますよ。

Category

Writer


エレガントライフアカデミー代表
原田 章子 Harada Shoko


福岡市に生まれる。福岡雙葉小学校、中学校、高等学校卒業。白百合女子大学文学部、国文学科卒業。

90年代よりテーブルアートを志し、フランス留学。料理学校『コルドン・ブルー』、『リッツ・エスコフィエ』で料理と製菓を学ぶ。公爵夫人マリー・ブランシュ・ドゥ・ブロイユに師事し、フランス食文化史を学ぶ。パリの生花店『コム・オ・ジャルダン』で修業。その後も定期的に渡仏し、同店で研修を受ける。

2015年、母、原田治子逝去に際し、エレガントライフアカデミーの代表に就任。当Blogの執筆も手掛ける。