2016.4.23

18世紀のヨーロッパの華、 “ポンパドール夫人”。『食卓の歴史』

Category :

初夏の穏やかな一日となりました。余震もだんだんと減ってきたように感じます。

被災した皆様にも、少しでもホッとする時間があったことを祈ります。

 

さて昨日に引き続き、エレアカ4月のテーマ『洋食器の知識』に関する歴史エピソードとして、

ポンパドール夫人についてお話しをさせていただきます。

 

ポンパドール夫人はルイ15世の公式愛妾(公妾)として、

そのたぐいまれなセンスによってフランス国内のみならず、

18世紀のヨーロッパの芸術文化をリードした女性です。





File:Boucher Marquise de Pompadour 1756.jpg – Wikimedia Commons

 

パリの銀行家の娘として生まれ、貴族の娘以上の高い教育を受けて育ったと言われる彼女は、

国王の愛妾になるという幼いころからの夢を実現すべく

あらゆる努力をおこたりませんでした。

あるとき、王のお気に入りの狩猟場であったヴァンセンヌの森に

狩猟の女神ダイアナに扮して姿を現した彼女は、王の目に留まることに成功し、

城への招きを受けるようになります。

 

けれども彼女は王にすぐ身を任せようとはせず、あくまで”公式愛妾”としての地位を望みます。公妾となれば、社交界で公に認められ、日々の生活はもちろん活動費など、

すべてが王廷費から支出され、女性として臨みうる最高の権力を持てるようになるのです。

一年後臨んだ通りの地位を得て、王宮に入った彼女はその魅力と才能で、

瞬く間にヨーロッパ社交界の華となります。彼女の身に着けたもの、食べたもの、しぐさ…

すべてが流行となり、ファッションのみならず、絵画や彫刻などの芸術、

建築様式も彼女の好みが 時代の最先端としてヨーロッパ中に広がり、

ロココ様式として今日まで残ります。

 

生活文化に造詣の深い彼女のこと、もちろん陶磁器に興味がないわけはなく、

もともと陶器に白い釉薬をかけたファイアンスを焼いていたヴァンセンヌ窯を、

自分の居城近くのセーブルに移転させ、より高品質な磁器を焼けるよう支援します。

『ローズ・ド・ポンパドール』は彼女が作らせた食器の一つ。

お気に入りの食器が出来るとお披露目パーティーを盛大に催したと言われます。





http://www.metcorp.co.jp/item/calabre-tc-18eme-rose-n6/

 

このように多分野で活躍した彼女ではありますが、その実力を最大に発揮したのは、

なんと政治の分野でした。30歳を過ぎたころから、王と寝室を別にしたポンパドール夫人は、

今度は王の右腕としてフランス国内の統治のみならず、

外交にまで影響力を及ぼすようになります。

1756年、オーストリアのマリア・テレジア、ロシアのエリザベートと共に

プロイセンに対抗した『七年戦争』の反プロイセン包囲網は、

主導した三人の女性たちの貢献に敬意を表し、『三枚のペチコート作戦』と呼ばれました。

 

ポンパドール夫人は42歳で亡くなるまで、王の寵愛を受け、

遺体は王宮から出棺しました。(愛妾は死ぬ前に王宮から出されるのが通例でした。)

王は窓から遺体をのせた馬車が見えなくなるまで、見送り、

『今日、私は最大の親友を失った。』と語ったそうです。





File:Pompadour6.jpg – Wikimedia Commons

 

封建社会の18世紀のヨーロッパで、男女を超え、身分を超えて、

国王に『親友』と呼ばれたポンパドール夫人。

自分に限界を設けず、あらゆる努力をして、女性として臨みうる最高の地位を手に入れ、

芸術文化のみならず、政治、経済の分野まで手腕を発揮しました。

 

ルイ15世が今日に至るまで、『太陽王』と呼ばれ、

18世紀フランスが、ヨーロッパの政治経済の中心として君臨したのは、

ポンパドール夫人の力があってこそのことだったといえるでしょう。

 

食卓を通して歴史を見てみると、女性の影響力の大きさに驚かそれます。

女性は政治の表舞台から追いやられていたと思われる時代…

もしかしたら男女平等が声高に叫ばれている今より、

その美しさや才覚、そして情熱によって女性たちは輝いたのかもしれませんね。

Category

Writer


エレガントライフアカデミー代表
原田 章子 Harada Shoko


福岡市に生まれる。福岡雙葉小学校、中学校、高等学校卒業。白百合女子大学文学部、国文学科卒業。

90年代よりテーブルアートを志し、フランス留学。料理学校『コルドン・ブルー』、『リッツ・エスコフィエ』で料理と製菓を学ぶ。公爵夫人マリー・ブランシュ・ドゥ・ブロイユに師事し、フランス食文化史を学ぶ。パリの生花店『コム・オ・ジャルダン』で修業。その後も定期的に渡仏し、同店で研修を受ける。

2015年、母、原田治子逝去に際し、エレガントライフアカデミーの代表に就任。当Blogの執筆も手掛ける。